沿革

当寺の始まり

当寺はもと真言宗で「廣岸院(こうがんいん)」と称し、駒林の東南端にあった。

1532年
天文元年

阿賀野市出湯にある華報寺(けほうじ)の四世、芳菴尖頤(ほうあんせんい)が真言宗から曹洞宗に改め、寺号を「華蓮寺(かれんじ)」と改称し現在地に移転した。開基は駒林城主 下条駿河守貞尚(げじょうするがのかみさだなお)。

下条駿河守貞尚が上杉謙信の臣であったことから、与板城主 直江兼続(なおえかねつぐ)が下条駿河守貞尚の追善を祈り、中国の僧道原(どうげん)の筆になる「紺紙金泥金剛般若波羅蜜経(こんしきんでいこんごうはんにゃはらみつきょう)」を寄進した。これは現在も寺宝となっている。

紺紙金泥金剛般若波羅蜜経
紺紙金泥金剛般若波羅蜜経

1627年
寛永4年

新発田市にある宝光寺の四世、嶽翁麟鷟(がくおうりんさく)を新たに開山とし、寺号を「華蓮寺」から「養廣寺」と改め、現在の基礎を築く。

また、新発田藩主 溝口宣直(みぞぐちのぶなお)も大いに帰依し、歴代の藩主も寺領を寄附し、戦前まで田畑15町歩を有した。それ以来、法統連綿として1872年(明治5年)本山より格地を許され、明治大正を通じ雲水修行の専門道場(僧堂)であった。

1779年
安永8年

養廣寺十二世の霊谷泰泉(れいこくたいせん)の代に坐禅堂を建立。

1804年
文化元年

7月 十四世の鐡艘藏壑(てっそうぞうがく)の代に本堂及び庫裡(くり)棟上。中興開基は坂井七郎兵衛。

本堂
庫裡

1875年
明治8年

5月 大本山總持寺(そうじじ)貫首(かんしゅ)、栴崖奕堂(せんがいえきどう)禅師による授戒会が開かれる。

1903年
明治36年

4月 大本山總持寺貫首、西有穆山(にしありぼくざん)禅師による授戒会。

1920年
大正9年

8月末 大本山永平寺(えいへいじ)貫首、日置黙仙(ひおきもくせん)禅師による授戒会。授戒中の9月2日、日置黙仙禅師が当山にて遷化される。

寄せ書額

日置黙仙禅師ご遷化の際に書かれた宗門ご重鎮方の寄せ書き

1926年
大正15年

8月 大本山永平寺貫首、北野元峰(きたのげんぽう)禅師による授戒会。

1970年
昭和45年

6月 大本山總持寺貫首、岩本勝俊(いわもとしょうしゅん)禅師による授戒会。
授戒会

1997年
平成9年

6月 養廣寺二十六世乙川良英が第26代曹洞宗宗務総長に就任。
乙川良英

2001年
平成13年

本堂、諸堂の大改修工事が完了。位牌堂を新築。

2021年
令和3年

5月 当山にて新潟県曹洞宗青年会主催による授戒会を開催予定。

※新型コロナウイルス感染症影響により、延期。

令和2年12月現在、開催日時未定。